”ブリティッシュ・ビート”における天才少年といえば、バーミンガムの天才少年STEVE WINWOODが真っ先に思い浮かびますが、リバプールの天才少年CHICK GRAHAMを思い浮かべる方も全国に3人くらいはいるかもしれません。

ちなみに私は当然前者です(笑)

SPENCER DAVIS GROUPでデビューしたSTEVE少年は大人も顔負けの超実力派シンガーでした。
彼の歌声を聴いたBEATLESのRINGO STARRが、彼を”本場の人”だと思ってしまったことは有名です。
また、彼はキーボード、ギター奏者としての腕前も高く評価されていました。

それに対して、リバプールの天才少年はこんな感じです。

CHICK GRAHAMことGRAHAM JENNINGS少年は、STEVE少年のような大人びたヴォーカリストではありません。
見た目を裏切らない(?)ボーイソプラノ歌手です。
彼はこの映像の時点(1963年)で15歳でしたが、全然15歳には見えません。
STEVE少年とは別の意味で、ですけどね。

恐らく、GRAHAM少年は地元リバプールで天才少年と騒がれていたのでしょう。
GRAHAM少年はリバプールのセミ・プロ・バンドCOASTERSをバックに付けて、地元のライヴ・ハウスなどで活動していました。
COASTERSは、元々BILLY KRAMER & COASTERSとして活動していたグループです。
勿論、BILLY KRAMERとは、BILLY J. KRAMERのことです。
(違っているかもしれませんが)グループのリード・ギタリスト、ARTHUR ASHTONはBILLYの兄弟(親戚かな?)だったと思います。
COASTERSはBRIAN EPSTEINとの契約話があった際に、”セミ・プロとして活動することを望んだ”(BILLY J. KRAMER 『LISTEN』のライナーより)ため、フロント・マンであるBILLY J.と袂を分かっていました。

そんな彼らに目を付けたのは、当時、各地のビート・グループと手当たり次第に契約していたDECCAレコードです。
何故、DECCAがビート・グループと手当たり次第に契約していたのかは説明不要ですね(笑)
今まではセミ・プロとしての活動を望んでいたCOASTERSも、全国的なスターになったBILLY J. KRAMERの活躍に刺激を受けたのか、今度はGRAHAM少年と共にDECCAと契約します。

そして、DECCAから1964年にリリースされたデビュー・シングルが「I KNOW」です。

偶然にも、BILLY J. KRAMERにも同じタイトルの曲がありますが、同名異曲です。


残念ながら、このシングルはチャート入りせずに終わりました。

1964年といえば、まだマージー・ビート・ブームが続いていましたが、ROLLING STONESなどのロンドンR&B勢が台頭してきた時期でもあります。
BEATLESをはじめとするマージー・ビートが人気を得たのは、曲の良さ、ルックス、ファッション・センスなど、いろいろな要因があると思いますが、一番大きな要因は若者達がマージー・ビートに何か新しい息吹を感じたからだと思います。
この時期の流行に敏感な若者達が次に新しい息吹を感じたのは、ロンドンR&B勢やモッズ勢でした。

そんな状況の中で、この曲はちょっとツライように感じます。
この曲はGRAHAM少年の声質や見た目のイメージに合っていると思いますし、曲自体も良く出来ていると思います。
しかし、この曲から何か新しいものは感じられません。
GRAHAM少年にはそれなりの話題性もあったと思いますし、イカツイ大人が多い中で清涼感のあるボーイソプラノも悪くないと思います。
でも、ちょっとデビュー時期が悪かったのかな?というような気がします。

この後の彼らはもう一枚のシングルをDECCAから出して、音楽シーンから消えてしまいます。
声変わりをして太い声にでもなってしまったのでしょうか?

ただ、これもマージー・ビートの一部であるのは間違いないですし、マージー・ビートに興味がある方ならお勧めできるシングルだと思います。
どちらかといえばB面の「EDUCATION」の方が、ブリティッシュ・ビート好きの方にはしっくりくるかもしれませんね!