久しぶりにシングル盤を購入しました。

CHANTSの「I COULD WRITE A BOOK」です。

CHANTSはリヴァプールの黒人5人組グループです。
”マージ―・ビート”に黒人グループというのはあまりピンとこない方が多いかもしれませんが、60年代初頭のリヴァプールにも数千人規模の黒人街があったようです。
実際、GERRY & PACEMAKERSの主演映画『FERRY CROSS THE MERSEY』の冒頭にも白人と黒人の子供がリヴァプールの下町で遊ぶシーンが出てきます。
当時のリヴァプールにおいても黒人はそれほど珍しい存在ではなかったのでしょう。

私なんかは英国在住の黒人=西インド諸島出身=ブルー・ビートやスカ、という単純な図式をすぐに思い浮かべてしまいますが、彼らはドゥー・ワップの影響が強いヴォーカル・グループです。
彼らが古くから英国に居住していたアフリカ系の人達なのか、西インド諸島からの移民なのかは分かりませんが、ジャマイカなどでもドゥー・ワップは非常に人気の高い音楽でしたから(ロックステディにヴォーカル・グループが多いのはその名残)、リヴァプールの黒人達の間でドゥー・ワップの人気が高かったのも不思議ではありません。
それに本場アメリカの黒人と同様、英国在住の黒人達にとっても高価な楽器を必要としないドゥー・ワップは入り込みやすい音楽だったのでしょうね。

この「I COULD WRITE A BOOK」は彼らの2ndシングルです。
この曲には彼らが所属していたPYEレーベルの敏腕プロデューサーTONY HATCHが絡んでいます。
そのせいか、どこから切っても実にPYEレーベルらしい王道ポップなサウンドに仕上がっています。

一般的なマージ―・ビートのイメージとはまるで違っていますけど、これもれっきとした”マージ―・ビート”の一部なのです。
当時のリヴァプールの音楽シーンは本当に奥が深いです!

ちなみに彼らがCAVERN CLUBで初ライヴをした際にバック・バンドを務めたのはBEATLESです。
BEATLESも彼らの実力を買っていたのでしょうね!
そんな繋がりもあってか、彼らは一時的にBRIAN EPSTEINのマネージメント下にありました。
しかし、どういうわけかBRIAN EPSTEINは彼らの売り出しに消極的でした。
BRIAN EPSTEINは彼らのような黒人グループをどのように売り出して良いのか分からなくて持て余してしまったのかもしれません。
結局、彼らは隣町マンチェスターのマネージメントに移籍してしまいます。

彼らは新たなマネージメントの元でPYEレーベルとの契約に成功して、本作を含む4枚のシングルをリリースします。
しかし、残念なことにどれも不発に終わってしまいました。
その後はFONTANAやDECCA、英RCA VICTORから5枚のシングルを出しますが、どの曲もヒットすることはありませんでした・・・
それでも60年代に計9枚ものシングルを残せたのは、業界内で彼らの実力が高く評価されていた証拠になると思います。