60年代の英国では一定の知名度があったジャマイカの音楽ですが、音楽産業の中心地アメリカではそうでもありませんでした。
アメリカの一般音楽ファンにレゲエやスカがはっきりと認知されたのは70年代以降です。
しかし、60年代の間、ジャマイカのミュージシャン達が地理的にも近い巨大市場アメリカへのアプローチを、全くしなかったわけではありません。
1964年にはアメリカでこんなアルバムが発売されています。
ATLANTICからリリースされた『JAMAICA SKA』です。
このアルバムは(タイトルそのままですが)スカのコンピレーション・アルバムです。
ジャマイカ音楽界の大御所BYRON LEEを中心に、CHARMERS、BLUES BUSTERS、STRANGER & KEN、MAYTALSの楽曲が収録されています。
プロデュースも(多分)BYRON LEEです。
1964年のジャマイカでは、誕生して間もない音楽”スカ”が大ブームになっていました。
ジャマイカのスカ・ブームは多くの優秀なミュージシャンを生み出しました。
BOB MARLEY率いるWAILERSもそうですし、まだ10代前半の少年だったJIMMY CLIFFもスカ・ブームからスターになった人達です。
そんな彼らの目は市場規模の小さいジャマイカ国内だけではなく、海外へも向けられました。
勿論、主要なターゲットになったのは社会的・歴史的に結び付きの強い英国と超巨大市場アメリカでした。
ちょうどこの頃、ジャマイカ出身の少女MILLIE SMALLが歌う「MY BOY LOLLIPOP」が世界的な大ヒットになっていました。
また、アメリカでの万国博覧会にジャマイカの特産品(?)としてスカも紹介されることになりました。
このような事をきっかけにして、スカを世界に広めようとするジャマイカのミュージシャン達の熱意と、流行りモノに便乗したいアメリカのレコード会社の思惑がうまく一致したのが、このアルバムだと思います。
この頃のATLANTICは黒人音楽専門のレーベルでした。
スカも新種のR&B的な切り口でアメリカに紹介されたのでしょうか?
それともリゾート地の観光向け音楽としてなのでしょうか・・・
また、裏ジャケには、
楽しいダンスの解説があります。
ちなみにレコーディング・エンジニアはTOM DOWDです
どうやら彼はわざわざキングストンまで出向いたらしいです。
それと、このアルバムには日本盤も存在していたようです。
アメリカの一般音楽ファンにレゲエやスカがはっきりと認知されたのは70年代以降です。
しかし、60年代の間、ジャマイカのミュージシャン達が地理的にも近い巨大市場アメリカへのアプローチを、全くしなかったわけではありません。
1964年にはアメリカでこんなアルバムが発売されています。
ATLANTICからリリースされた『JAMAICA SKA』です。
このアルバムは(タイトルそのままですが)スカのコンピレーション・アルバムです。
ジャマイカ音楽界の大御所BYRON LEEを中心に、CHARMERS、BLUES BUSTERS、STRANGER & KEN、MAYTALSの楽曲が収録されています。
プロデュースも(多分)BYRON LEEです。
1964年のジャマイカでは、誕生して間もない音楽”スカ”が大ブームになっていました。
ジャマイカのスカ・ブームは多くの優秀なミュージシャンを生み出しました。
BOB MARLEY率いるWAILERSもそうですし、まだ10代前半の少年だったJIMMY CLIFFもスカ・ブームからスターになった人達です。
そんな彼らの目は市場規模の小さいジャマイカ国内だけではなく、海外へも向けられました。
勿論、主要なターゲットになったのは社会的・歴史的に結び付きの強い英国と超巨大市場アメリカでした。
ちょうどこの頃、ジャマイカ出身の少女MILLIE SMALLが歌う「MY BOY LOLLIPOP」が世界的な大ヒットになっていました。
また、アメリカでの万国博覧会にジャマイカの特産品(?)としてスカも紹介されることになりました。
このような事をきっかけにして、スカを世界に広めようとするジャマイカのミュージシャン達の熱意と、流行りモノに便乗したいアメリカのレコード会社の思惑がうまく一致したのが、このアルバムだと思います。
この頃のATLANTICは黒人音楽専門のレーベルでした。
スカも新種のR&B的な切り口でアメリカに紹介されたのでしょうか?
それともリゾート地の観光向け音楽としてなのでしょうか・・・
また、裏ジャケには、
楽しいダンスの解説があります。
ちなみにレコーディング・エンジニアはTOM DOWDです
どうやら彼はわざわざキングストンまで出向いたらしいです。
それと、このアルバムには日本盤も存在していたようです。