1位、「I WANT TO HOLD YOUR HAND」
2位、「SHE LOVES YOU」
13位、「A HARD DAY’S NIGHT」
14位、「LOVE ME DO」
16位、「PLEASE PLEASE ME」
40位、「TWIST AND SHOUT」
52位、「CAN’T BUY ME LOVE」
55位、「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」
95位、「I SAW HER STANDING THERE」
さて、これはなんでしょうか?
熱心なBEATLESファンの方ならすぐにお分かりかと思いますが、これは1964年度のビルボード年間チャートから抜粋したものです。
なんとBEATLESは年間チャートの中に9曲も入っているのです!
今さらではありますが、やはりこれは歴史的な快挙だと思います。
1964年から66年にかけての時期は、ご存知のように”ブリティッシュ・インヴェイジョン”の真っ只中でした。
この時期は一般的に英国産ビート・グループが全米チャートを乗っ取っていたという認識があります。
確かに、64年のシングル・チャートではBEATLESが1位から5位までを独占したという事実もあります。
だが、ブリティッシュ・インヴェイジョンはBEATLESだけの現象ではありません。
では、他の英国ビート・グループはどうだったのかと、今さらながら気になってきました。
そこで、1964年から66年にかけてのビルボードの年間チャートを改めて検証してみました。
まず、1964年の年間チャートです。
BEATLESの9曲を筆頭に英国勢はベスト100の中に29曲が入っています。
BEATLESの続くのが、我らがDAVE CLARK FIVEの5曲です。
この時期のDC5は人気、実力、楽曲の質共にBEATLESに見劣りしていませんでした。
少なくともビジネス面ではDC5が圧倒していたと思います(笑)
さらに、BILLY J. KRAMERとGERRY & PACEMAKERS、SEARCHERSがそれぞれ2曲ずつベスト100に入っています。
他にMANFRED MANN、ANIMALS、HONEYCOMBS、DUSTY SPRINGFIELD、PETER & GORDON、MILLIE、CHAD & JEREMY、BACHELORS、KINKSがベスト100入りしています。
この時期はやはりマージー・ビート勢の活躍が目立ちます。
それにしても、ベスト100の中に29曲とは意外と少ない感じがしますね。
当たり前のことですが、残り71曲は地元アメリカ勢のヒット曲です。
元々英国勢がほぼゼロだった年間チャートに、いきなり29曲も入り込むのは間違いなく大躍進だと思いますが、これでは英国勢が全米チャートを乗っ取ったとは言えないような気がします。
あえて細かくは触れませんが、地元アメリカ勢の71曲の中にはBEATLESらの全米進出によって駆逐された(といわれている)”旧態然としたポップス”がしぶとく生き残っています。
そもそも、これらのヒット曲を”旧世代の遺物”として簡単に葬り去ってもよいものなのでしょうか?
この年の年間チャート上ではFOUR SEASONSもJAN & DEAN、そしてROY ORBISONもまだ健在です。
ついでですが、KINGSMENや一部で大人気のTRASHMENなんかも年間チャートに入っています。
この年はけっして”英国勢一色”というわけではなかったのだと思います。
続いて、1965年の年間チャートです。
マージー・ビート勢が主流だった前年とは違い、この年はROLLING STONESなどのロンドン勢が躍進します。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの最盛期はこの年でしょう!
この年、最も売れていたビート・グループはBEATLESではなく、HERMAN'S HERMITSです。
HERMAN'S HERMITSは5曲を年間チャート入りさせています。
BEATLESは7位に「HELP」、31位に「TICKET TO RIDE」、55位に「EIGHT DAYS A WEEK」が入っています。
意外と誤解されがちですが、常にBEATLESが何でも一番ではなかったのです。
それに続くのが、ROLLING STONES、PETULA CLARK、TOM JONES、YARDBIRDS、DAVE CLARK FIVE、PETER & GORDONで、それぞれ2曲ずつ年間チャート入りしています。
この年は100曲中33曲を英国勢が占めています。
この年の英国勢は前年よりも少し増えて全体の3分の1ほどになりましたが、やはり思っていた以上に少ないような気がします。
これはブリティッシュ・インヴェイジョンといっても、コンスタントにヒット曲を出していた人は意外と少ないのが影響しているのかもしれません。
この時期に出すシングルが決まってヒットしていた人は、BEATLES、DAVE CLARK FIVE、HERMAN'S HERMITSにROLLING STONESくらいで、それに続く存在がANIMALSやPETER & GORDON、YARDBIRDSでした。
それら以外の人達はほぼ一発屋状態だったと思います。
この年のアメリカ勢はフォーク・ロックやモータウンのヒットが増えています。
そして、GARY LEWIS AND PLAYBOYSなど、明らかにブリティッシュ・ビートからの影響を強く受けていた人達も登場してきます。
しかし、ELVIS PRESLEYやJOHNNY RIVERS、DEL SHANNONなどの”BEATLES以前”の人達もまだまだヒット・チャートでは健在でした。
最後に66年です。
この年の英国勢はベスト100曲中19曲に激減してしまいました。
ちなみにトップ10内にはゼロになってしまいました・・・
この時期になるとBEATLES以外のマージー・ビート勢は全滅状態になっています。
この年の年間チャートに複数の曲が入っているのは、BEATLES(4曲)、ROLLING STONES(2曲)、PETER & GORDON(2曲)だけです。
英国産ビート・グループは明らかに過渡期を迎えていたと思います。
また、この66年は米国産ガレージ・バンドが大爆発した年でもあります。
この年は? &MYSTERIANSやPAUL REVERE & RAIDERS、OUTSIDERS、STANDELLS、COUNT FIVE、SHADOWS OF KNIGHTらが年間チャート入りしています。
ガレージ・バンドは国内産ビート・ロックでもあります。
ビート・ロック人気も輸入物から身近な国内物にシフトしていたのかもしれませんね。
こうして改めて64年から66年の年間チャートを見てみると、必ずしも英国勢一色ではなかったのだと思います。
もちろん、BEATLESを筆頭とするブリティッシュ・ビートがアメリカの音楽やビジネスを大きく変えたのは疑いようのない事実です。
しかし、元からアメリカにあった音楽、ポップスやフォーク、その他諸々もちゃんと生き残っていたことを今回再認識しました。
私は今までそれらの音楽を無視しがちでしたが、それらとしっかり向き合わないと、同時代の音楽であるブリティッシュ・ビートもきちんと理解出来ないような気がしてきました。
60年代の音楽はまだまだ底が見えてきませんね(苦笑)